
食べものの記憶〜理事長の想い#1
食べものには、味だけじゃなくて、時間が詰まっている。思い出が閉じ込められている。
ヤクルトの「ミルミル」を見ると、僕は子どもの頃に戻る。おばあちゃんが冷蔵庫の奥に、大事に取っておいてくれた。「ほら、けんちゃんの分、ちゃんとあるよ」2歳か3歳の僕は、赤と緑の丸いデザインをじっと見つめて、「これはきっとすごく高級な飲みものに違いない」と思っていた。
18歳、19歳になっても、それは変わらなかった。大学受験を控えた冬、夜遅くまで机に向かっていると、おじいちゃんが部屋のドアをノックする。手にはミルミルとパイの実。「頑張れよ」短い言葉とともに、そっと置いていく。
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おにぎりにも、時間が詰まっている。母が作るおにぎりは、塩気がほとんどなく、海苔も巻かない。おばあちゃんが作るおにぎりは、塩が効いていて、なぜか海苔が2枚も3枚も巻かれている。
高校サッカー部の頃、土日の試合の日は、おばあちゃんにお弁当を頼んだ。「しっかり味のついたおにぎり」が、なんだか嬉しかった。それを口に入れるたびに、体の奥から力が湧いてくる気がした。
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食べものと一緒に、時間が流れていく。思い出が刻まれていく。
今、僕は毎週、岡山名物のきびだんごを届けている。児童養護施設の子どもたちや、生活に困っている家庭の子どもたちに。
ただのお菓子じゃない。「大人になったときに、この味を思い出してくれたらいいな」そんなことを考えながら、届けている。
大人になった彼らが、岡山駅や空港で、きびだんごを見かける。「ああ、昔、もらったなあ」そう思い出してくれる日がくるかもしれない。
「誰かが自分を支えてくれていたんだな」そんなふうに、ちょっと心があたたかくなるかもしれない。
食べものの記憶は、きっと、生きる力になる。そう信じて、僕は今日も、車を走らせる。